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大正13年 — 昭和20年

1924(大正13)年3月10日
聚楽の原点「須田町食堂」開業
関東大震災で世の中が変わった1924(大正13)年3月10日午後3時、須田町食堂は”簡易洋食”のノレンを掲げて開業した。新潟生まれの血気盛んな店主、加藤清二郎以下スタッフ8名。この日6時間で78円68銭の売り上げがあった。 ささやかな出発であったが東京の中心に生まれたこの小さな大衆食堂はたちまち市民の話題となった。当時庶民にとって高嶺の花であった西洋料理がどこよりも安く三銭、五銭、八銭均一、須田町食堂へ行けば気軽にハイカラなカツレツやカツカレーが食べられるというわけである。聚楽の原点はこうして誕生した。




そもそも事業は一人でできるものではない。その事業が大なれば大なるほど、多くの人を要するものである。されば事業の経営者たり、商店の主人たりする人の最も重大必要たる資格は、使用人を上手に使ふ事に外ならないと信ずるのである。余は初めて事業の経営にあたり、初めて人の主人となるのである。此の点深く感銘して如何にせば
・店員をして、店の仕事を自分のものとして、忠実にやらしむる事が出来得るか
・如何にして従業員が心から愉快に、店の仕事に全力を傾注して呉れるかといふ事に深く研究せねばならん
やはり精神で使ふ事を第一義となし、物質で使ふ事を第二とせねばなるまい。

1924年[ 大正13年 ]
3月10日 | 須田町営業所 開業(須田町食堂) |
11月20日 | 京橋営業所 開業 |

京橋営業所

京橋営業所 支店開設記念撮影
1925年[ 大正14年 ]
2月28日 | 日本橋営業所 開業 |
6月15日 | 銀座営業所 開業 |
8月10日 | 上野第一営業所 開業 |
9月6日 | 浅草営業所 開業 |




本年1ヶ年間は脇目もふらず熱心に己れの全精神を事業に傾注し、最善を尽して最良の成績と出来得る収入を挙げ、一方虚礼、無駄の交際などは出来得る限り之を避け、冗費を省き質素を旨とし、あらゆる節約をして、専ら物質的基礎を固むる事に努めねばならん。

1926年[ 大正15年 / 昭和元年 ]
2月1日 | 駿河台営業所 開業 |
11月20日 | 水天宮営業所 開業 |
1927年[ 昭和2年 ]
2月21日 | 本郷営業所 開業 |
5月5日 | 神保町営業所 開業 |
10月17日 | 亀沢町営業所 開業 |
11月17日 | 神楽坂営業所 開業 |

駿河台営業所 駿河台交差点脇

本郷営業所 本郷三丁目交差点脇




良く店員の境遇と心事を理解し、同情心と温い親の心持とを以って使わねばならん。又何事に対しても、使われるものの心持になって見れば、
如何にせば彼等に忠実に働いて呉れるであらうかと云う事を知る事が出来ると思ふ。

1928年[ 昭和3年 ]
2月8日 | 柳島営業所 開業 |
2月26日 | 小伝馬町営業所 開業 |
5月20日 | 上野第二営業所 開業 |
5月30日 | 横浜第一営業所 開業 |
10月17日 | 横浜第二営業所 開業 |
12月5日 | 高橋営業所 開業 |
1929年[ 昭和4年 ]
2月15日 | 押上営業所 開業 |
4月1日 | 緑町営業所 開業 |
8月25日 | 外手町営業所 開業 |
9月5日 | 猿江営業所 開業 |
11月23日 | 坂本営業所 開業 |
12月25日 | 亀戸営業所 開業 |





— 店員の慰安 —
如何なる方法により店員に慰安を与ふべきやの具体案は、店員の希望を聞いたり余自身も充分研究せねばならない事であるが、店員の殆ど全部は青春に燃ゆる、異性を求むる欲望の最も盛んな、思想上に於ても感化されあい、四囲の事情や交友や指導者の如何により、良くも悪くもなり安い、危険時代なのである事を思ふて、之等の危険区域に接近せしめざる様、高尚優雅な趣味―慰安娯楽機関等によって、少しでも悪い欲望を忘れしむる様な方法を講じたい。
〇蓄音機を買い求め、昼間は時として店に之を用い客の興を誘ひ、夜仕事を終へてから、店員をして自由に使わしめ、慰めしむる。
〇講談本や講談の雑誌、其他平易な修養書籍・修養雑誌を店員の寝起きする室に備付け、従業時間以外に之等を随意に読ましめ、修養の資料となし又慰安の一とする。

1930年[ 昭和5年 ]
4月1日 | 大森営業所 開業 |




向ふ五ヵ年間を以て第一期となし、
此間確実なる利殖以外断じて他の営業に手を染めざる事。

1931年[ 昭和6年 ]
8月9日 | 伊東温泉辰太旅館 |
9月5日 | 東京帝国大学構内第一食堂 開業 |
1932年[ 昭和7年 ]
4月5日 | 国鉄上野駅構内地下室食堂 開業 |
5月20日 | 日本橋・白木屋店員食堂 開業 |
8月1日 | 東京府庁内不二食堂 開業 |

1932年4月 上野駅地下食堂開店
大衆食堂とは思えない豪華な作り。女性の接客係(ウェイトレス)が登場したのはこの時から
1933年[ 昭和8年 ]
1月5日 | 東芝マツダ支社専用食堂 開業 |
1934年[ 昭和9年 ]
7月18日 | 永楽ビル(安田銀行)専用食堂 開業 |
10月10日 | 株式会社 聚楽を設立(資本金100万円) |
10月10日 | 熱海樋口旅館を買収、熱海聚楽として開業 |
10月16日 | 食堂デパート新宿聚楽(B1F~4F) 開業 (酒場・大衆食堂・グリル・中華・割烹) 創業10周年、聚楽の名前が初めて使われる |
11月5日 | 東芝芝浦支社専用食堂 開業 |

1934年10月16日
食堂デパート新宿聚楽開業
聚楽(ジュラク)の名前はここから使われるようになった



病気になったり、其他店員に煩悶憶悩等のある場合には、
心から親切に慰めてやり、又其煩悶から救ってやらねばならん。

1935年[ 昭和10年 ]
4月1日 | 神奈川県庁庁内食堂 開業 |
12月20日 | 新宿家庭寮開店 開業 |
1936年[ 昭和11年 ]
3月10日 | 京成聚楽 開業 |
4月18日 | 豊島園内食堂 開業 |
4月20日 | 東洋精機・津上製作所専用食堂 開業 |
6月29日 | 横河電機専用食堂 開業 |
8月8日 | 東両国営業所 開業 |
10月26日 | 講談社専用食堂 開業 |
11月24日 | 警視庁庁内食堂 開業 |
11月24日 | 岩城硝子専用食堂 開業 |
12月6日 | 銀座家庭寮開店 開業 |

1936年3月10日
上野・京成聚楽開業

1936年6月29日
横河電機専用食堂開業
官公庁や企業、学校、工場の給食需要が高まる
1937年[ 昭和12年 ]
9月12日 | 東京電機無線専用食堂 開業 |
10月21日 | 浅草雷門須田町食堂 開業 |
11月3日 | 浅草聚楽 開業 |

1937年11月3日
浅草聚楽 開業

浅草聚楽メニュー
1938年[ 昭和13年 ]
3月25日 | 日本鋼管鶴見造船専用食堂 開業 |
3月25日 | 江東楽天地食堂 開業 |
4月15日 | 日本無線電信電話専用食堂 開業 |
4月26日 | 中島飛行機武蔵野製作所専用食堂 開業 |
5月1日 | 大日本食堂株式会社を設立(資本金45万円) 開業 |
6月16日 | 聚楽新館開店 開業 |
9月5日 | 日本特殊鋼専用食堂 開業 |
9月10日 | 東京電気小向工場専用食堂 開業 |
9月10日 | 富士通信機専用食堂 開業 |
9月10日 | 東芝堀川町・共同工業・大宮町・塚越・柳町工場専用食堂 開業 |
1939年[ 昭和14年 ]
2月11日 | 東京航空計器専用食堂 開業 |
3月10日 | 浅草花やしきを買収浅草楽天地として開園 |
3月30日 | 日本製鋼専用食堂 開業 |
4月1日 | 中島航空金属田無工場専用食堂 開業 |
6月10日 | 芝浦マツダ工業特殊合金工具製作所専用食堂 開業 |
6月30日 | 日本出版専用食堂 開業 |
7月24日 | 中島飛行機保谷寮食堂 開業 |
8月12日 | 日本鋼管川崎製鋼所専用食堂 開業 |
10月1日 | 東京軽合金専用食堂 開業 |
11月19日 | 鋼板工業専用食堂 開業 |
12月3日 | 田中計器製作所専用食堂 開業 |
12月13日 | 東芝京町第一工場専用食堂 開業 |

1939年3年10日
花やしき跡地 浅草楽天地 開業
状況は徐々に厳しく
1937(s12)年戦時色が次第に強まり1940(S15)年にはついに主食の配給制へと追い込まれた。
統制経済化の暗い世相を反映して一般食堂の伸びは止まり活動の主力は専用食堂。
それも軍需工場での給食に転換していった。
1940年[ 昭和15年 ]
5月5日 | 東芝富士見工場専用食堂 開業 |
5月5日 | 浅草今戸 割烹聚楽園 開業 |
11月15日 | 東芝京町第二工場専用食堂 開業 |
1941年[ 昭和16年 ]
3月16日 | 朝比奈鉄工所専用食堂 開業 |
4月6日 | 石川島造船所本八幡青年学校専用食堂 開業 |
6月 | 新潟鉄工蒲田工場専用食堂 開業 |
6月11日 | 飯野機械工業専用食堂 開業 |
6月16日 | 中島飛行機多摩製作所専用食堂 開業 |
9月8日 | 大日本兵器富岡兵器製作所専用食堂 開業 |
10月13日 | 国際電気専用食堂 開業 |
1942年[ 昭和17年 ]
7月 | 日本特殊鋼羽田工場専用食堂 開業 |
記録なし | 東京電気上平間寮食堂 開業 |
1943年[ 昭和18年 ]
記録なし | 航空本部専用食堂 開業 |
記録なし | 東京造船所専用食堂 開業 |
記録なし | 三井精機工業専用食堂 開業 |
記録なし | 石川島造船所専用食堂 開業 |
1944年[ 昭和19年 ]
2月10日 | 株式会社聚楽と大日本食堂株式会社が合併。 商号を大日本食堂株式会社に変更し資本金 125万円となる |
3月6日 | 熱海大火により旅館熱海聚楽焼失 |
4月10日 | 個人経営の須田町食堂を統合して資本金250万円となる |
1945年[ 昭和20年 ]
8月15日 | 第二次世界大戦終戦 |
終戦時の残存店舗は… 京成聚楽、神保町営業所、上野第二営業所、小伝馬町営業所、須田町営業所の5店舗 専用食堂は航空本部、永楽ビル(安田銀行)、東京造船所、講談社、日本出版、田中計器、東京帝国大学構内第一食堂の7ヶ所その他は戦災で焼失または閉鎖となる |

1945年9月 空襲で被災 廃墟と化した新宿聚楽
切符を買い求める人々の行列
創業者・加藤清二郎(1898年4月8日 - 1982年9月24日) 須田町食堂開業前の手記より