こころ感じる聚楽の旅 ことのはvol.23
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71.神社の繁栄に寄与するものでなければならない2.新潟県下のテレビ放送に寄与するものでなければならない3.弥彦村の繁栄に寄与するものでなければならない4.国定公園佐渡弥彦における観光資源の開発振興に寄与するものでなければならない5. 神社に参拝する人々に対し、健康的なそして新しい喜びと楽しみ等を与えるものでなければならない1953年テレビ放送が開始されると新潟県内各所から要望が相次ぐ。電波塔は越後平野のほぼ中央に位置する弥彦山に設置することが技術的に最も効果的だ。1956(昭和31)年暮れ、北村新潟県知事はじめ関係者による「県観光事業開発振興のための連合会議」において国定公園弥彦山山頂と山麓の神社を結ぶ半公共的な索道建設が決まった。その経営責任者には信仰心が篤く、信用が高く、手腕鋭い『東京の加藤さんに限る』と全員一致だった。これは当然の成り行きだったのだが彼は固辞した。しかし、野上宮司、小林弥彦村長、さらには北村新潟県知事までじきじきに懇請に訪れ、承諾した。引き受けたからには緻密な調査、研究を行い、企画する。1957(昭和32)年2月「百聞は一見に如かず」と59歳で雪の弥彦山へ登頂。更に全国のケーブルカー、ロープウェーを殆ど調べ歩いた。ロープウェー建設にあたり雪の弥彦山を登頂●1958(昭和33)年4月18日弥彦観光ロープウェー(現弥彦山ロープウェイ)開業【新潟県にテレビ放送を】

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