551946(昭和21)年1947(昭和22)年1948(昭和23)年1949(昭和24)年1950(昭和25)年新宿聚楽地階再開1951(昭和26)年1952(昭和27)年1953(昭和28)年※ 黄色:旅館 青:専用食堂 緑:直営店※1 外食券食堂:工場労働者や行商人など自炊をしない労働者に対して米穀通帳と引き換えに外食券を交付し、外食券食堂で食事が摂れる制度旅館神田聚楽開業神田喫茶じゅらく開店成城学園内食堂開店新宿聚楽再開新宿旅館聚楽開業京成聚楽再開(7月飲食営業緊急措置令発布)旅館伊東聚楽開業飛行館聚楽開店伊東かにや聚楽新宿聚楽別館開業電気クラブ開店旅館明神館開業(3月ドッジ・ライン「1ドル=360円の単一為替レート設定」によるドッジ不況)(4月飲食営業緊急措置令廃止)京成聚楽地階再開須田町食堂本店再開日々激動の経済混乱期を経験のない事業で乗り越えることは出来ず、会社の立て直しを計る旅館渋谷聚楽開業東映大泉撮影所内食堂開店※2 大日本食堂株式会社:1934年に設立した聚楽(一般食堂)と1938年に設立した大日本食堂(専用食堂)が1944年に合併した会社。1964年株式会社聚楽へ商号変更東京木工・加藤産業貿易・千代田食品工業・加藤水産・東京酒造の5社を設立増資して資本金500万円となる増資して資本金1,000万円となる増資して資本金2,000万円となるこの政令は飲食業を生なりわい業とする当社にとって死活問題である。 大日本食堂株式会社※2の直営食堂18か所(店舗名不明)は開店休業状態となってしまう。 飲食営業緊急措置令(ポツダム政令)1947(昭和22)年7月、日本政府は食糧事情の改善を目的に飲食営業緊急措置令を発布した。以降、戦時中に制度化されていた外食券食堂※1、許可を受けた旅館、喫茶店などを除き、事実上飲食店営業が不可能になった。
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