こころ感じる聚楽の旅 ことのはvol.23
3/12

331960年代以降、スポーツ合宿などの利用が多かった。1995年8月まで営業。聚楽従業員である北田氏の奥様は歯科技工学校を出られており、ご指導を受けていた慈恵医大の教授宅へ伺った折、「渋谷の知人が焼け跡の土地を売りたいと言っている」という情報を掴んだ。そこはとある病院が借地権を持った鍋島家(旧佐賀藩)の土地だった。社長以下関係者で現地を見た時は一面の焼け野原で山手線が眼下に走っていた。大学教授の紹介とあって話はスムーズに進んだ。借地権の譲渡額は十万円で鍋島家の承諾も得た。敷地内の井戸端に一軒の掘っ立て小屋生活をしている一家が居たことに立ち退きをだいぶ心配した。社長の「無理に追い払うことの無いように」の言葉に幾ばくかの立ち退き費用を支払った。数日後掘っ立て小屋の住人はトラブルなく引き払っていった。●1947(昭和22)年6月 伊東かにや聚楽開業(場所は現在の伊東ホテルジュラク)●1947(昭和22)年9月 旅館渋谷聚楽開業渋谷の土地

元のページ  ../index.html#3

このブックを見る