こころ感じる聚楽の旅 ことのはvol.23
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楽株式会社 聚郎二創業者 加藤 清(1898年4月8日~1982年9月24日)22じゅらくせいろうじ【前号までのあらすじ】学業優秀も進学はせず、東京で大衆食堂に着目、関東大震災を契機と捉え1924年3月10日東京・神田に簡易洋食“須田町食堂”開業。本部を設け一括仕入れ、大量生産を行い創業5年で25店舗まで拡大。宿泊産業へも参入し、創業10年の節目となる1934年「聚楽」創設。官公庁、企業、学校の専用食堂も運営し最大89店舗まで事業を拡大するも1945年8月15日の残存店はわずかに5店舗。戦争は終わった。店舗の喪失だけでもかなりの損害だ。大きい店にはそれぞれ4つぐらいの寮もあったし食材倉庫などもあったのでそれらを加えるとかなりの建物が失われているのだ。加藤清二郎は早々に動き出す。1週間で組織・人事を変更、建物の再建も手早く進め、建築許可願を27件も提出、職員から「都内最多です」と驚かれたりもした。復興と同時に従業員への配慮も忘れてはいない。1946年7月最悪の場合を想定し備蓄していた食料を店員とその配偶者に無償で配給、不安定な時勢なだけに取り扱いには十分注意するよう通達を出した。1946年、新宿聚楽営業再開。店舗1Fは食品ストアーとして総菜なども販売。並行して企業、学校の専用食堂も新規で請け負う。

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