こころ感じる聚楽の旅 ことのはvol.22
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81941(昭和16)年7月23日 伊東町小川にて山津波(土石流)発生建物は完成し、畳と調度品を入れるばかりであった伊東聚楽(桃山聚楽)が流される。その後、伊東聚楽(桃山聚楽)が再建されることは無かったが1947(昭和22)年伊東駅前通りを直進したところにかかる「いでゆ橋」(1967年完成、当時はまだない)のたもとにあった旅館カタナヤ(もと韓国首相の李完用の別荘)を買収、伊東聚楽として開業し1973(昭和48)年まで営業していた。まぼろしの伊東聚楽(桃山聚楽)1941(昭和16)年2月11日、伊東町小川にて建築中の伊東聚楽(桃山聚楽という名称だったらしい)が上棟式を挙げる。※場所は伊東駅前交番を山手に進んだところで、現伊東ホテルジュラクとは異なる。『鎌田消防団文書392 沿革誌』1941(昭和16)年7月23日の記録午前10時頃、小川沢の山が崩落、聚楽旅館が埋没し、生き埋め数人あり。直ちに出動せよとの報により、全分団員を引率し、崩落現場に出動する。現場に到着して見ると、その現状は目を覆うばかり。10万坪の土砂は聚楽を埋め、さらに牛乳店を崩壊し、生き埋め聚楽2、3人、牛乳店2、3人あり。【伊東・熱海

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