44いつも旧twitter(X)を楽しく拝見しております。私は個人的興味から練馬区の郷土史、特に第二次世界大戦を中心に色々調べている練馬区民です。(中略)貴社が食堂運営をなさっていた中島飛行機武蔵野製作所の(中略)当時の様子が工場で働いていた方たちの戦争体験記から少し覗えますので、是非ともお知らせいたしたく、手持ちの資料を送付させていただきます。● 中島飛行機武蔵野製作所の栄養調査 須田町食堂(戦前、大衆食堂と給食請負では第一級の会社)が請け負う巨大な給食施設。 少年工用:朝昼夕各2,000食弱 女子寮用:朝昼夕各1,200食 料理は分量、食品数、味付けが立川(立川飛行機:直営給食)とは雲泥の差があり良好。※その頃の工場食には営利を伴う請負は悪者で直営が良好の風潮があったが、中島飛行機東京病院浅野院長は「うちは請負制をとる主義でしてね。給食は請負にするべきです。」と語っている。大手の(配給の)強みで魚介が意外に多い。他はイモや野菜をプロらしくヘット(牛脂)や旨味調味料で食べさせる。砂糖と油は使っても少量である。蒸気釜の炊飯など万事手慣れていてキャリアを感じた。さつま汁は肉の有無が分からず、カレーも同様だが味は良い。創業時から1、2を争う人気のカレー。具材は無くても味は不変だったようです。須田町食堂はよそとは違う、そんな「意気込み」が感じられます。練馬区 早水 淳子様より資料提供いただきました。【軍需工場の昼食】 (軍需工場・炭鉱の職場給食を語る:昭和のくらし研究No.2/昭和館より引用)【戦中の給食
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