こころ感じる聚楽の旅 ことのはvol.22
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331938(昭和13)年から軍需工場の食堂運営を手掛けながら1939(昭和14)年には浅草楽天地を開業、しかし1941(昭和16)年の新規出店は1.朝比奈鉄工所 2.石川島造船所 3.新潟鐵工所 4.飯野機械工業 5.中島飛行機多摩営業所 6.富岡兵器製作所 7.国際電気通信7店全て給食事業となる。従業員は三千名を超え一日の来客数は平均十五万人、多忙日は二十五万人にも及んだ。来年度はまだまだ大東亜戦争が継続されるものと思われます。(中略)平和産業の部門である当店の経営上の困難なる事情はなお一層深刻を極めるものと思われます。健康に十分注意し須田町食堂精神を発揚して各自の責務に最善の努力をなされ来るべき苦難の年を克服善慮して下さるよう熱望致す次第であります。軍事教練の様子(と思われる)撮影年月不明。写真右:左上にニコライ堂が写っていることから当時の総本社横(現お茶の水ホテルジュラク)であることが確認できる。1943(昭和18)年の第十九回創業記念日(3月10日)は業務多忙ではあったが4月8日(加藤清二郎生誕の日)に延期して実施された。直営店舗七十三店、従業員数三千余名、一日来客平均二十万人多忙日におきましては二十五万人。この規模の大、内容の充実は事業の盤石の基礎と相まって業界第一人者として光輝ある栄誉を担うに到ったのであります。陸軍へ志願入隊したことからも、加藤清二郎の胸奥には飾りのない愛国の心があり、日本の窮地を救うため全力で給食事業の運営を行っていったのです。昭和十六年十二月 店主 加藤 清二郎

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