楽株式会社 聚郎二創業者 加藤 清(1898年4月8日~1982年9月24日)22じゅらくせいろうじ【前号までのあらすじ】学業優秀も進学はせず、見習奉公の後、軍隊を経験。相場で失敗しサガレン(樺太)で鉄道建設に従事。堅実な商売を起こそうと東京で大衆食堂に着目、1924年3月10日簡易洋食“須田町食堂”開業。8か月後2号店を開店すると次々と店舗を展開、本部を設け一括仕入れ、大量生産を行い25店舗まで拡大。その後は宿泊産業へも参入し、創業10年の節目となる1934年「聚楽」創設。官公庁、企業、学校の専用食堂も運営し事業を拡大していった。社内で重要文書扱いとされ保管されていた「訓示・挨拶・辞(ことば)」1941(昭和16)年の越年の辞には以下のように記されている大東亜戦争開戦前から多くのスタッフが出征していきました。須田町食堂開業前に「使用人の待遇法について」を詳細に記し、従業員が心から愉快に仕事をしてくれるかを考えていた加藤清二郎にとって、彼らの出征はさぞかし心が痛んだことであろう。大東亜戦争の大詔渙発(たいしょうかんぱつ:開戦を告げる天皇の勅書を広く発布する)にあたり、私が最も親愛する店員諸君に対し一言ご挨拶申したいと存じます。まづ第一に店員諸君の出征者に関する事をお知らせいたします。支那事変勃発以来当店より出征した者○○少尉以下272名□□中尉以下15名の人達が護国の鬼と化せられましたことに衷心感謝の意を表し毎日寸時ではありますが地下の英霊に対し心よりご冥福を祈っている次第であります。(中略)(中略)
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