こころ感じる聚楽の旅 ことのはvol.21
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6※映像はこちら☞女性スタッフが制服を着て接客する「ウェイトレス」を初めて採用。500名もの応募があり31名が採用される。地下食堂参入は後年、新潟・長岡・山形・福島の各駅の食堂、上越線列車食堂参入などの素因となる意義深い出店だったのだ。開業以来、三銭五銭八銭と均一料金を売りにしてきたが物価高騰により価格変更を余儀なくされたのはこの時からである。 職人さんたちは屋号の法被の上に須田町食堂の法被を羽織っている。● 1933(昭和8)年 自宅建設。 【上野地下食堂】【須田町食堂の転換期】● 1931(昭和6)年 8月9日 伊東温泉「辰太旅館」開業 初めて旅館業に参入する。  ● 1931(昭和6)年 9月5日 東京帝国大学の食堂を運営この頃、上野駅で食堂事業者の募集をしているとの情報を得た。東京の超一流ホテルや百貨店、著名な店(300店余り)はすでに出願手続きが終わっていた。早速社内に委員会を設置、文章と写真による当時としては型破りな請願書を締め切り日に提出。結果は採用。決め手はチェーン組織の新鮮さと経営理念であった。この出来事は新聞でも報道され須田町食堂の地位が飛躍的に上がったのだった。

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