楽株式会社 聚郎二創業者 加藤 清(1898年4月8日~1982年9月24日)22じゅらく● 準備と決意のノートこれは須田町食堂開業前に書かれた創業者の手記である。冒頭は前号でも紹介した「使用人の待遇法に就いて」。修業時代に書かれたものと思われる。創業家の蔵で発見されNo.3とあるが、No.1と2は残念ながら見つかっていない。せいろうじ【前号:創業編のあらすじ】学業優秀も進学はせず、海鮮問屋から陸軍へ。除隊後、相場で大儲けするも株価暴落で借金を背負い込む。樺太で鉄道建設に従事するも稼いだ金をまた相場で失う。堅実な商売を起こそうと東京で大衆食堂に着目、資金調達のため再び樺太で肉体労働従事中の1923年9月1日関東大震災発生。東京へ戻り、実家から材木の提供を受け、簡易洋食“須す田だ町ちょう食堂”を開店● 蓄音機を買い求め、昼間は時として店に之を用い客の興きょうを誘ひ、夜仕事を終へてから、店員をして自由に使わしめ、慰めしむる。(中略)仕事と遊びと一緒にせざる様、働くときには一心不乱に働き、遊ぶ時には何事も忘れてよく遊び、休む時にはよく休むという様な良き習慣を店員に付けしむる様、指導教育せねばならん。事業を始める前から50以上の項目が具体的に記されており、後にそれは実行されることとなる。
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