こころ感じる聚楽の旅 ことのはvol.21
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11111930(昭和5)年ごろ、経済紙「ダイヤモンド」を創刊した石山賢けん吉きち氏(同郷新潟出身)から阪急電鉄創業者小林一いち三ぞう氏を紹介されている。大阪へ訪ねたところ初対面だというのに宝塚の遊園地を案内してくださったり、その後須田町食堂へお越しいただいたりと親交を深めていった。1939年3月10日浅草楽天地開園披露の際、東京電燈社長としてお越しいただいた小林一三氏舞台上は加藤清二郎以下弊社役員須田町食堂や聚楽のような一般食堂以外にも、企業、学校、官公庁、工場などの専用食堂も手掛け、戦中の1943年には89店舗まで拡大していったのです。左:戦前の浅草聚楽店内。下:この時代に着用されていたと思われる半纏(現存品)● 1936(昭和11)年 上野・京成聚楽(食堂デパート)開業● 1937(昭和12)年 浅草聚楽(現在も営業中)開業● 1938(昭和13)年 阪急グループが運営する江東楽天地にて須田町食堂開業● 1939(昭和14)年 浅草花やしきを買収、浅草楽天地として開園【さらなる発展】

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