こころ感じる聚楽の旅 ことのはvol.20
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6関東大震災後の万世橋駅震災直後の上野・西郷像現在は商用施設として利用されておりホームも見学することができる 「震災前の民衆食堂が今なお必要なのか?」 結果は、より一層その可能性を大きくする。で焼け野原を目の当たりにする。  すでに東京にいた叔父を頼り、そこを拠点として2週間歩き回る。   民衆が望んでいると確信することはできたが資金が少額すぎた為、上京していた兄にも援助を頼み、故郷新潟にいる父のもとへ急行する。 頑固な父は度重なる相場の失敗を言いだしなかなか金を貸してくれない。 それでも口説きに口説き、兄の口添えもあってついに了承してくれた。  父から材木代3千円、友人親戚3人から借入8百円、自己資金3百円、合計4千百円の元金を手にすると、すぐさま東京へ引き返した。  次は場所の選定。東京市内を2週間歩き続け目に留まったのが神田須すだちょう田町交差点の近く。  人、車、馬の往来激しく、鉄道と市電も通っており、近くに は神田青物市場もある。 ちょうどそこに10坪ばかりの空き地を見つけたのだ。● 1923(T12)年11月14日  樺太で蓄えた3百円を手に上京、上野西郷像の前【大衆食堂の必要性を確信! 

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