こころ感じる聚楽の旅 ことのはvol.20
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人使いが荒いな…55 その一報は樺太にも飛んできた。 手紙で東京在住の親類からバラックで 飲食店が繁盛している情報を得る。 「帝都復興に安くて気軽に入れる食堂は 絶対に必要だ」。 「行こう! 東京へ!」ロシア人家族と戦前の浅草朝8時から23時閉店。片付け、入浴。その日気づいたことを入念にノートへ書き込む。寝るのは2時3時。軍隊と鉄道建設で鍛え上げられた身体も寝不足には耐えられなかった。3か月辛抱したが神経症に陥りやむなく店を離れた。●1923(T12)年 浅草の洋食屋「三友軒」で皿洗いとして働く。● 1923(T12)年5月 2か月の静養後、2度目の樺太へ。● 1923(T12)年9月1日 関東大震災発生転換期】

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