22上野京成聚楽1949(S24)年のポスター忘れもしない昭和20年3月10日夜半、東京はB29の大空襲を受けた。全員一丸となって消火活動に奮闘したものの焼夷弾の雨を浴びて店はたちまち猛火の海に包まれてしまった。翌朝、私たちはかねて打合せしておいた避難場所言問橋の下に集まった。たった一夜にして…(中略)再会した私たちは声も無く放心状態だった。昭和20年8月15日かろうじて残った一般食堂ははわずか5店を数えるのみであった。終戦直後の新宿聚楽 1945(S20).9.30 影山光洋氏撮影 右下は新宿駅で列車の切符を求める人々 終戦~5年の間に残存店及び躯体のみとなった新宿聚楽の営業を再開。するとここから先3年間、復興の兆し消えるかのように年譜が空白となる。おそらくこの期間で次に始まる大きな事業の準備をしていたのだろう。─ 聚楽50年の歩み ─ より事業を始める前から事業を大きくすることを考え、大正13年3月に須田町食堂を開業後、戦中は官公庁や工場の専用食堂を含め89店舗にまで拡大も…じっと苦境に耐え、再起をうかがった。創業者加藤清二郎は新潟県白根市(現新潟市南区)の出身
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